ゴミ問題について綴るうち、消費社会に暮らすことについて色々と考えました。

今日は、どうしても避けて通れない豊かさと消費問題について書いてみたいと思います。

消費社会日本
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日本では、常に新商品がでています。街には広告があふれ、まわりが持ち始めると、自分もなぜか買わなければならないような気がしてつい買ってしまう、そんな雰囲気があります。

それに、古いものを使うのはなんだか恥ずかしい、という日本人独特の周りの目を気にする気質も相まって、まだ使える物があっても、新しいものを買ってしまうのが日本人です。

もちろん、ヨーロッパでも新製品の広告がありますが、周囲の人が持っているからとか、周りの目を気にして買うというのは少々子供っぽいと見なされるので、みんな他人は他人自分は自分というスタンスです。

それに、壊れていても自分の気に入ったものは何度でも修理して、ずっと長く使うのがヨーロッパ流。

どちらがゴミをたくさん出しているかは、一目瞭然です。


ミニマリスト?それともケチ?
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ヨーロッパで生活していると、モノがあふれた生活をすることは、なんだかばかげたことのように思えてきます。よく言えば質素、悪く言えばケチなのですが、それで誰かに迷惑がかかることはありません。少なくとも、環境にはやさしい行動です。

最近は日本でも、ミニマリストや断捨離などが流行っていて、溢れかえるモノたちを処分することが流行っているようです。

ただ、これはいかに今まで自分たちが大量のモノに囲まれて暮らしていたかの裏返しで、どんなにモノを処分しても、次々に新たなモノを購入していては、結局同じこと。

もちろん、まわりに迷惑がかかっていないのなら、それでも全然問題ないのですが、環境問題と言う視点で見ると、こういった消費行動はあまり称賛されるべきことではありません。

満たされない気持ちを消費することによってやり過ごしている、日本の消費はそのような傾向があるように思います。

自分の行動を振り返っても、やはり本当に気に入ったものは何十年たっても使えますが、周りに流されて購入したものは、結局ほとんど使わないことが多いのです。

これからは、孫子の代にも受け継いでもらえるような本当に必要なモノを選択していきたいと思います。


お金で買えない幸せ
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「フランスで見つけた幸せ」の中でも書いた通り、日本にいた頃はあふれるほどのモノに囲まれて、消費することによって幸福感を得ていました。

当時はそれが当たり前と思っていたし、まわりも同じでした。それ以外を知らなければそれが「普通」なわけで、幸せになるためには次から次へと新しいものを買ったり、消費したり。

旅行に行っても、できるだけ時間を有効に使うべく、行けるだけの場所に行き、観光・見学・観劇・スポーツなどのアクティビティーを詰め込んで、一日を無駄なく過ごしました。

それでも常になんだか満たされていない気持ちがあったのは確かで、それは自分の仕事が忙しすぎるせいだと思っていました。

そのため、フランスへ行ったときに本当にささいなことに幸せを感じる自分に、日本の人たちは「それはよっぽど、日頃大変な生活をしてるから。」と言いました。確かに、それも一理あるかもしれません。

でも、休暇にでかけても、休む間もなくあくせくと動き回る日本人と、ビーチで毎日のんびりしているフランス人やドイツ人の、どちらが幸せかというと、私は後者だと思います。

お金では買えない幸せ、お金をかけなくても手に入る幸せ、それがあることが、本当の豊かさなのではないでしょうか。

そして、心の豊かさを手に入れる代わりに少しの不便をがまんすることにより、環境問題に関して社会貢献できる、またそのことによって、さらなる幸福感を得ることができる、それがヨーロッパでの生活では実現できるのです。

心が満たされていれば、余計な買い物は必要ありません。本当の豊かさはモノの消費ではなく、モノがたくさんあることは必ずしも幸せにはつながらないと、心しておきましょう。